2013/12/30

松下幸之助とレイモンド・ローウィ

 松下幸之助は、1951(昭和26)年に2回の海外視察を行っている。

 1回目は、1951(昭和26)年1月18日から4月7日までの約三カ月に亘る米国視察である。2回目は、10月11日から12月12日までの一カ月の欧米視察である。特に、1回目は、初めての海外視察であり多くの実地見分を行ったために大幅な期間延長となった。特に逸話のように言われていることに、「米国では同じ機能のラジオ受信機でありながらデザインで価格に差があることを知った」ということである。

 松下幸之助が帰国した4月7日の航空機は、1951(昭和26)年5月1日発行の『松下電器時報』によると、 12時30分羽田着のパン・アメリカンである。

 4月8日付の朝日新聞によると、同じ便でレイモンド・ローウィが来日している。

 ローウィは日本専売公社の依頼で来日し、煙草「PEACE」のパッケージデザインで販売貢献したことで知られている。松下幸之助は、帰国後の発言でデザイン対象に「包装の紙箱」をあげている。製品デザインを重視する姿勢を表明する中での発言としては、いささか不自然である。

 機内でローウィと交流があり、彼の包装デザイン等の業績について知った可能性がある。経営の神様として後に『TIME』誌の表紙になった松下幸之助と今世紀でもっとも成功したデザイナーの一人であるレイモンド・ローウィがどんな会話をしたか、想像するだけでワクワクするのは私だけでしょうか。

 
『松下電器時報』昭和26年5月1日発行

2013/12/23

松下幸之助のデザインマネジメント

戦時下の1942(昭和17)年10月30日、松下幸之助は、社主達示として以下の7項目を全社員に向けて発信しました。今のデザインマネジメントにも通じる内容です。
特に、第一に要請した「製品は親切味、情味、奥床しさ、ゆとり」は、日本デザインを世界に発信するためにも重要な視点でしょう。

製品劣化に関する注意

時局下各種統制強化に伴ひ、資材、素材の關係に困難なる點あり、代用品の使用、仕様の變更等を必要とすることあらんも之れが爲に製品自體を劣化せしめるが如き事ありては一大事に有之候間如何に代用品を使用する共仕様に變更を加ふるとも其の製品はより良き成果を得らるゝ様特に左の各項に留意されて松下電器製品は如何なる見地よりするも斯界に於て其の優秀性を保持する様考案相成度候

一、製品は親切味、情味、奥床しさ、ゆとりの多分に含まれたるものを製出し、需要者に喜ばれることを根本的の信念とすること

二、經営の本諦を誤り利潤に捉はれ資材の用法、製品の仕様、工作の方法等に無理を生ずるが如き事にて製品を劣化せしむること往々あり特に此の點に留意すること

三、常に業界の動き及び市場に關心を持ち同業者の商品と當社の商品との比較研究調査をなし、如何なる微細部分だりとも遜色なきものゝ製出を期すること

四、各種の統制強化され資材其他に相當困難はあらんとも、之にこだわり資材の節約を敢てし自然と製品の劣化を來すが如きことのなき様注意すること

五、ナショナルのマークはその製品が押しも押されもせぬ誇りを標示するものなることを念頭に置き寸分の隙なき製品を以てすること

六、製品の物的要素たる資材、工具は時局下統制時代何れの業界も同様の視方あらんも心的要素たる作業員の動作はその指導訓練に依つて格段の差を生ずべく、特にこの點に關心を持つこと

七、如上の諸點より顧みて微細たりとも心當りあらば如何なる犠牲を拂ひても立所に是正改善の策を樹つること

1995年元旦の新聞広告

2013/12/14

松下幸之助が招聘した日系デザイナーによる掃除機

1965(昭和40)年に発売された掃除機MC-1000Cは、戦後日本のデザイン史に残る優れたデザインの一つです。。

この掃除機のデザインは1965年度の通産省グッドデザイン賞を受賞しており、事業的にも累計生産63万台を達成しています。デザインの特徴は、大きな車輪と反り上がった筐体の形状が特徴です。外観上の特徴を実現したのはABS樹脂を使用したことに因ります。

この製品が出るまでの掃除機は、金属のシリンダー状筐体に機構部品を順番に組み込んでいたのですが、このデザインは筐体を真ん中で割って左右2ピースに分けてモナカ構造にすることで、組立工数を大幅に削減させることに成功しています。
 
MC-1000Cの本意匠は意匠登録261273で、出願は1965(昭和40)年8月3日に行われています。製品化されたデザインの本意匠は、アラン島崎が創作者名で登録されています。
 
アラン島崎は、松下幸之助に招聘されてアメリカから来た日系二世のデザイナーです。来日したアラン島崎は、松下電器の出資でデザイン事務所「インターナショナル工業デザイン株式会社(IID)」を設立し副社長となります。彼は多くのデザイン開発成果を製品にしましたが、この掃除機もそのひとつです。
 
掃除機MC-1000C
 

意匠登録261273


2013/12/09

本を読もう、

寺山修司は「書を捨てよ、町に出よう」と言った。  

1970年代の鬱屈した青春を描き、本を読むよりも世の中に出ていこう・・・裏返せば、本を読むことが正統であり、主流の時代だったのでしょう。

最近の社会状況を見ると、大学でも社会に出て学べることを売りにしている場合が多いように思います。それなら、社会に出てば良いのであって、学生時代に疑似社会体験を優先するような状況よりも、机に向かって本を読むことを優先するのが大学の基本であると思うのですが。

経験、体験は良いことですが、本を読むことが軽視される傾向にあるように思われます。人は歴史と文化を継承しながら時代をつくっているのですから、活字は重要な知の伝達方法であることに間違えはありません。音声や映像よりも優れた保存と伝達能力を持っているとも言えます。

学生に「最近、どんな本を読んだ?」と聞くと、「???」返事が返ってこないことがあります。エッセイ、小説は心を豊かにし、歴史書、哲学書は知見を広げてくれます。

大人も同じです。電車でスマホ・ゲームに興じている人が多く、本を読んでいる人は少ないように感じます。 

若い時に、背伸びして難しい本を読んでみるのも良いのではないでしょうか。 今、理解できなくとも理解しようと思考したことが大切な時があります。

2013/12/06

言葉づかい

就活がはじまると、大学や就活支援会社がマナー講座を開催します。

言葉づかい、挨拶、髪型、服装まで、微に入り細に入り指導します。外から見れば、ぎこちなく見えるのは当たり前です。形から入っているので、気持ちは伝わり難いのです。

しかし、社会人でも程度の差です。会社説明会で付いてきた若手社員が説明します「○○課長さんが、おっしゃていたように」と、大丈夫か?この会社、と思うか、大らかな会社と思うか、言葉の乱れは大変な状況です。

今の大学教育に、こういったレベルの教育を求めないでください。英語教育の前に国語教育の必要性を強く感じます。と言うか、語学の問題ではなく、社会理解の問題だと思います。

では、そう言う私は、どこで学んだのかと言えば、まだ学習中ですが、「これはおかしいかな」と言う疑問からです。すなわち、私たちの時代はまだ大多数の大人は正しい言葉を使っていたのです。社会が育ててくれたのです。

就活生の皆さん、にわか覚えの言い慣れない言葉をつかうよりも、自然体で少しづつ覚えて行きましょう。

言葉は、話し言葉だけでなく、書き言葉も同じです。

2013/12/05

就活スーツって何?

今日の話題は、就活生には有用ではないかもしれません。あくまで私見ですので、実行しない方が良いケースも多いことを先に述べておきます。

 
121日から採用活動が解禁になり、企業説明会が開催されていますが、そこには同じように黒のスーツを着た学生が列を作ります。会場近くの駅では群になって見かけることもあります。誰が決めたのでしょうか?あの個性のないスーツを。
 
私が知っている限り、会社側が黒のスーツを指定することはないように思います。その方が良いイメージを与えることができると忖度しての結果でしょう。これまで多くの企業説明会で採用担当者の方のお話をお聞きしましたが、大手通販会社の採用課長は「面接には自由な服装で来てください、我社は個性を評価し判断します」と言うのを聞いた以外には、肯定否定も聞いたことはない。採用側も特に気にしていないのだろう。
 
そもそも、採用活動は学生個々の能力、性格といったものを見つけ出そうとする行為のはずです。なぜ、服装に個性を認めようとしないのでしょうか。何時からでしょうか?以前は、グレーや紺のスーツも混ざっていたように思うのですが。今のようになったのは、大手のスーツ販売店が大々的なコマーシャルを打ってからかもしれません。背景には日本のビジネスマンの画一的なスーツ姿があるのかもしれません。
 
もし、企業側が「面接は、黒のスーツ以外でお越しください」と、ドレスコードを指定してきたらどうなるでしょうか。学生は、どんな服装がその企業に向いているかを考えるでしょう。その結果、どんな服装で来るか、採用担当者も面接の日が楽しみになります。似合わないスーツで来られるよりも、よほど、その学生の個性を判断できるでしょう。
 
企業の採用担当者の方に提案です。黒のスーツ以外での面接をしては如何でしょうか。個性を活かす人材が発掘できるかもしれません。あくまで私見です。

2013/12/04

あなたの強みは何ですか?

就職活動で企業研究とともに必要とされるのが、自己分析です。自己分析は社会人が学生に求めるだけではなく、社会人にとっても必要なことです。企業説明会の壇上に立っている採用担当者も立場が変われば、上司や昇格面接官に問われていると思います。
 
さて、就活生の話に戻しましょう。エントリーシートや面接において「あなたの強みを書きなさい」「あなたの強みは何ですか」と聞かれて、元気に「はい、デザインです」「工学知識です」と、学んでいる題目だけを答える学生には、「あなたの強みは度胸ですね」と返したくなります。
「アルバイト経験です」「コミュニケーション力です」などと題目だけで答えられると、「それで、強みは」と聞き返したくなります。

「強み」とは、弱い強い、低い高い、少ない多いのレベルを伴うものです。そして、具体的な事例で説明できるものです。例えば、デザイン能力の高さを強みとしてアピールするために「数から逃げずに多くのアイデアを出せることです」と答えたら、「どのくらい出せるのですか」「どのようにして出すのですか」と、聞いてくれるでしょう。そうしたら、スケッチで分厚くなったファイルを開いて見てもらいましょう。そして、その成果を出すためにあなたが取り組んだプロセスを話しましょう。

教員の立場からすれば、「強み」は大学で学んだことを起点として欲しいと思います。なぜなら、学生は学ぶために大学に入学して講義、演習を受けているのですから。企業が働くためにあるように、大学は学ぶためにあります。(話が逸れそうなので、学校で何を学ぶか、社会、企業が求める教育は何かについては別の機会に述べたいと思います)

「強み」は、その成果を見せることができ、成果のプロセスを話すことができて、初めて認められるのではないでしょうか。すなわち、強みを活かした成果物を作ることです。間違っても偽装してはいけません。自己分析とは、自分の「強み」をつくる活動だと理解しては如何でしょうか。

2013/12/03

学生の企業選びの本心は?

学生も大学も、もちろん学生の親も、有名な大企業に就職できることを望んでいます。指導教員としても嬉しいものです。

何故、有名大企業への就職を望むのでしょうか。その本心の理由によって採用か不採用が決まります。

有名大企業は給料がいい、潰れることもない、サービス残業もない、生涯安心と考えるなら不採用です。有名大企業の人事は優秀ですから、直ぐにわかってしまいます。

有名大企業は大きな仕事ができる、いろいろな経験ができる、学ぶべき先輩がたくさんいる、と考えるなら採用です。

採用担当者、面接官、企業トップは、会社で楽して愉しみたいと思っている人を採用しようとは考えません。

仮に、上手くいって採用されたとしたら、そのような学生を採用した人事は弱体化しています。きっと社内での人材活用も上手くいっていないでしょう。その会社は、あなたが入社後何年かで経営危機を迎えるかもしれません。

当たり前ですが、チャレンジする精神と行動力が求められています。

2013/12/02

学生にとっての「企業研究」とは

昨日、12月1日に就職活動が解禁になりました。実は採用活動の開始です。休日にも関わらず多くの会場で企業説明会が開催され、学生たちが集まったようです。地方から大学単位でバスをチャーターして都内の会場に来た学生も多かったようです。

企業説明会は、その名のとおり企業が自社の説明をする場です。「自社にとって有能で優秀な学生」にアピールする場です。学生にとっては、興味のある(実は名前を知っているだけの)企業についての情報を手に入れる場です。

学生が企業について知る機会としては、3年生の夏に各社が開催しているインターンシップがあります。しかし、これは企業の側から見ると「自社にとって有能で優秀な学生」を探す場でもあります。インターンシップを終えた学生の多くが「とても楽しかった」と言って帰ってきますが、それは当たり前です。企業にとってインターンシップで厳しく指導する必要はないからです。企業によっては学生はお客さんですから、「ブランドのファン」になってもらうことも目的だからです。

その他にも、企業ホームページや四季報、OB訪問などなど、一般に「企業研究」と言われますが、多くの場合は「企業勉強」です。 本当の意味での「企業研究」を行えば、エントリーシートでも面接でも企業の採用担当者に注目されるのは間違えなしです。

では、本当の意味で、学生にとっての「企業研究」は、何をすべきなのでしょうか。その企業の業種、業態によっても異なるでしょうが、学生にしかできない研究です。採用担当者や説明に駆り出されてくる社員が自社の製品について詳しいわけではありません。

学生、若者の視点でその製品の分解(ハード&ソフト両面で)評価したり、他社製品との比較評価を店頭観察や友人へのアンケートで行うことはできるでしょう。行った調査結果から学生にしかできない視点での考えを述べたり、提案ができるはずです。
ただし、自慢してはいけません。案外、企業から見れば当たり前のことかもしれませんから。大切なことは、取り組んだプロセスです。どのように分解し、観察し、分析したかです。

ここまで読んだ方には、わかっていただけたと思うのですが、ここでのプロセスは「卒業研究」と同じです。テーマを決めて、目的を明らかにするために対象、方法を計画して、結果がでるまで取り組む。明らかにならない場合は計画を見直す。実は、企業におけるPDCAのサイクルを回すことと同じです。

「企業勉強」ではなく「企業研究」して望めば、企業側も身を乗り出して、あなたの話を聞いてくれることでしょう。決して「貴社のホームページにもあるように・・・」などと切り出してはいけません。そんなことを学生から聞かなくともわかっているからです。しっかりと研究することで志望理由も明確になることでしょう。

注)「自社にとって有能で優秀な学生」とは
各社にとって学生の評価は異なることを意味します。同じ企業にとっても事業状況によっては、求める人材は異なります。企業は学校名や成績だけで評価していません。なぜなら、入社後の成績はそれだけでは決まっていないという事実があるからです。

2013/12/01

就活を採用活動の視点で考える

12月1日、今日から2015年春卒業予定の大学3年生、修士1年生の就職活動が解禁されます。今朝の新聞の一面にも「採用上向き でも甘くない」の文字が並び、社会面には「企業求む
優秀人材」「海外からもライバル」とシューカツをメディアの話題にしています。

「今の就活は昔とは違う」という言葉も良く聞きます。しかし、基本はそんなに変わらないように思います。「就職活動」は企業側からみれば「採用活動」です。学生の皆さんも相手の立場になって自身の活動を見直すと本質が見えてくるのではないでしょうか。

企業は優秀な人材を探しています。当たり前です。私が前職で採用活動に関わっていた頃、冗談で「俺たちの退職金を稼いでくれる奴を採用しよう」と言ってました。40代、50代の人事課長、人員増の決済を通した部門の担当者にとって社業に貢献してくれ、結果として自分たちが退職する時に退職金が出せる(できるだけ多く)会社にしてくれるかは重要な問題です。ですから、冗談ではなく結構本気の判断基準です。

それでは、企業は具体的に何を基準にして採用活動をして、学生の何を見ているのでしょうか。当たり前ですが、個々の会社が求める人材を探しているのです。と言うことは、同じ業界でも各社の風土、商品戦略や戦術は異なるので、求める人材も異なるということです。だから、学生は企業研究が必要となります。

学生が志望理由で言いそうな「貴社の製品デザインが社会で評価されており、、、」「貴社はグローバルに展開されており、、、」「貴社の素晴らしい業務環境(インターンシップで良いとこだけを見てきて)で頑張りたい、、、」などという言葉を社会を知らない学生から聞きたいと思う採用担当者がいると思いますか。エントリーシートや面接でこんな文章や言葉を使用することで評価されることはないでしょう。逆効果はあったも。

次回のブログでは、「学生の企業研究について」。

2013/11/23

日本のデザイン政策知ってますか?

私などが述べるのは恥ずかしいのですが、皆さん、役所のホームページをご覧になったことはありますか?

正直に言うと、私は前職で「新日本様式」協議会事務局の仕事をするまでは、そして、その時期に社会人として大学院に通っていなかったら、一度も見ていなかったかもしれません。

しかし、例えばデザインに関わる政策は経済産業省が所管しているので、いろんな報告書が公開されています。目的はいろいろあるでしょうが、利用しない手はありません。

デザイン行政は、デザインの模倣が欧米から指摘されてて当時の通商産業省にデザイン課が設置されたことから始まりました。ホームページでは、その後の政策の歴史も知ることができます。デザインに関わる者として一度は訪れてもよいページでしょう。

http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/human-design/


つい最近まで、デザイン行政は、製造産業局のデザイン・人間生活システム政策室で行われていましたが、数年前から、商務情報政策局のクリエイティブ産業課デザイン政策室が担当しています。これだけを見てもデザインの社会での位置づけが変わってきていることがわかります。

現在のデザイン政策を所管するクリエイティブ産業課の仕事内容は、ホームページによると、以下のとおりです。4番目の項目に「デザイン」という言葉が一度出ているだけです。そして、「指導」「奨励」「盗用」の言葉が出てきます。現在と未来に対してのデザインについて、説明ができていないように思うのは私だけでしょうか。

以下、ホームページより
=================

生活文化創造産業課(クリエイティブ産業課)所掌事務

1.経済産業省の所掌に係るサービス業のうち生活文化の創造に関連するものの発達、改善及び調整に関すること(ヘルスケア産業課及び文化情報関連産業課の所掌に属するものを除く)

2.経済産業省の所掌に係る事業のうち生活文化の創造に関連するものに関する事務の総括に関すること。

3.第9条第3号及び第14号に掲げる事務であって、次に掲げる物資に関するものに関すること。日用金属製品及び日用合成樹脂製品、陶磁器及びほうろう鉄器、ガラス製品(製造産業局の所掌に属する事務に係るものを除く。)、マッチ、コルク及び木竹製品、運動用具、文房具及び楽器、おもちゃ、喫煙具、装身具及び傘、包装材料、その他雑貨工業品(製造産業局の所掌に属する事務に係るものを除く)

4.デザインに関する指導及び奨励並びにその盗用の防止に関すること。

5.伝統的工芸品産業の振興に関する法律(昭和49年法律第57号)の施行に関する事務の総括に関すること。

6.地域伝統芸能等を活用した行事の実施による観光及び特定地域商工業の振興に関する法律の施行に関すること。



2013/11/18

真似ることから学ぶ

「学ぶ」は「まねぶ(学ぶ)」で「まねる(真似る)」と同源であると言われています。

「ルーブル美術館は模写する芸術家の卵のためにできた」とも、聞いたことがあります。

「職人は、師匠の技を盗んで一人前になる」と言われますが、これも見て学べということでしょう。

製品開発において大切なことのひとつが、他社製品の分解から学ぶことだと教えられました。

若い頃、デザイナーがスケッチを上手く描けるようになる近道は、先輩のスケッチを真似ることだと悟りました。

言うまでもなく人類の歴史は、先人の知恵を学び利用し、新たな知恵を発見しては積み重ねて来たのですから、発見と創造の基盤に「学び」があることに間違いはないでしょう。

真似ることは、決して消極的な行為ではなく学ぶための基本的なステップであると思います。ところが近代になって、発明者の権利がビジネスとの関わりでクローズアップされ「どちらが先に発明したか・・・」の議論の中で、真似ることが否定的な意味に捉えられるようになってきたと思われます。

ジェームズ・W・ヤングは「アイデアのつくり方」の中で、「アイデアは既存の組み合わせである」と言っています。すなわち、如何に多くの既存の知を身に付けるかです。人類が蓄積してきた知を有効に活用するために、また、次なる新たな知を生み出すために、「真似ることから学ぶ」姿勢が大切であると感じています。

2013/11/09

複製技術とデザイン

ベンヤミンは、「機械的な複製は芸術作品をアウラから解き放った」と言ったが、機械的複製の代表である工業製品のデザインはアウラから解き放たれ、真に生活者のものとして生まれたはずです。しかし、今、デザインにアウラの呪縛が再現しているようです。先日来のネットでのGマークに関する記事の背景にはデザインを前にしての現在的なアウラの存在が見えます。デザインを表象の手段として経済だけでなく政治まで関連してきているような影を感じます。
 
芸術とデザインの違いについて論じようとしたとき、複製技術との関わりを抜きには語れません。このように書き出すと、写真やリトグラフは芸術ではないのか?といった言説が出てきます。ここでの複製技術とは、無制限な複製、いつでもだれでも可能な複製です。写真やリトグラフは無制限な複製を数として制限する手段をもって、アウラを温存しつつ芸術としての鑑賞対象になっています。
 
立体物における複製技術では、今話題の3Dプリンターがありますが、現在の私たちの生活を支えている多くの人工物を作っているのは型です。樹脂成形品から陶磁器、お菓子まで原型を雄型にして雌型をつくり、大量生産を可能にしています。
 
先日、熱海の商店街を歩いていたら、店頭にお菓子の木型が置いてあるのを見かけました。お土産に買って帰ったお饅頭にはアウラは感じませんが、この木型には感じるものがあります。
 
デザインの原型には存在するアウラも複製技術によって大量生産されたものには必要ないのかもしれません。ギーディオンが製品を「ものいわぬもの(訳書での言葉)」と言っているように、本来、大量生産された製品デザインは芸術とは一線を画すものです。
 
デザインは、生活者自身が「ものいわぬもの」と関わる中で、それぞれの善なるアウラを育てるものかもしれません。
 

2013/11/02

デザインの模倣と創造

知人の井藤 隆志氏がデザインした自転車にコンセプトが類似している製品がグッドデザイン賞の上位賞にノミネートされています。彼のFBでの主張に対して多くの意見が寄せられています。全てが全面的な賛同ではないのはもちろんですが、「デザインに賞を与える」とは、どういうことであるかを考える機会を頂きました。

井藤 隆志のデザインした自転車
http://www.utilitebikes.com/photogallery/photo04.html

GOOD DESIGN BEST100の自転車
http://www.g-mark.org/award/describe/40034?token=xWZnc506gS

デザイン以外の賞についても同様のことは言えるでしょうが、あまり広げては論点がぼけてしまいますので、ここでは特に日本における工業製品のデザインについて、私の意見を述べたいと思います。まず、日本におけるGマーク制度のはじまりについて、日本デザイン振興会のHPにもあるように、制度のはじまりは、日本製品のデザイン模倣に対しての外圧に因るものです。日本は今の中国のようなデザイン意識であったわけです。残念ですが。

以下、日本デザイン振興会のHPより

「1)制度の誕生 「Gマーク制度」は、日本による外国製品の模倣という国際的な知的財産権問題を背景として、1957年(昭和32年)に設立されました。模倣を防止するには創造的なデザインを奨励するべきであるという考え方に基づくスタートでしたが、当時はまだデザインという言葉も一般的ではなく、企業でもほとんど実践されていませんでした。そこで審査員自身が街へ出て、「よいデザイン」探し出すことから始められたといいます。たいへんな労力と根気を必要とする選定でしたが、我が国の産業と生活を発展させていくためには「デザインがなにより必要だ」という強い思いが、この制度を生み育てていったのです」

「Gマーク制度」では、創造性が求められています。これは、デザイン行為の根源的かつ普遍的なものであると思います。

それでは、独創性とは何か。同時代を生きているデザイナーは、当然ながらその時代の社会に影響されながらデザインしているわけです。デザイナーが表現するモノは、何らかのかたちで時代の産物であると言えるでしょう。そのため、今回のような件も、コンセプトの類似から造形が生まれたと言えないことも無いように思えます。

しかし、待ってください。ここで大切なことは、もし模倣ではなく同様の発想から生まれたのであれば、先に製品化されたモノとの差別化をその時代の多くの人が理解するレベルで図るべきです。もし、意図的ではなく、知らなかったと言うのであれば、それはプロとして知らなかったことを恥ずべきであり、知った時、または指摘された時に真摯に対応すべきです。

工業製品のように大量生産品のデザインであればあるほど、デザインのオリジナリティに価値を与える(賞を与える)社会であるべきでしょう。

2013/10/27

卒業研究の中間審査会開催


昨日10月26日(土)、総合プロジェクト(卒業研究)の中間審査会が開催されました。

芝浦工業大学デザイン工学では、学部4年生の卒業研究は研究テーマと研究方法をPPTで発表する「中間発表会」が6月に開催され、研究の進捗状況をパネルで発表する「中間審査会」がこの時期に開催されています。
 
学生たちは、スーツ姿で自分の研究説明パネルの横に立ち、主査、副査の先生が来ると4分程度で研究題目、研究目的、研究方法、進捗状況について説明します。緊張感を持って説明し、コメントを真摯に受け止めて最終発表までの研究を進めて欲しいと思います。
 
発表を聞けるのは、先生だけでなく3年生も可能です。彼らは先輩の研究発表を聞き、4年になってからの研究テーマを決める参考にするとともに、研究室を決める参考にします。
 
 

2013/10/20

杖のいる生活経験から

 左膝を痛め「タナ障害」と診断されて二か月弱、杖を必要とする生活を余儀なくされました。状況としては、杖なしで普通に歩こうとすると、左の膝に激痛が走るのです。治療としては膝への負担を掛けないように休めて治癒するのを待つだけ、と言われました。しかし、日常生活ではそうはいきません。学校の授業は絶対ですし、校舎が分かれているので移動もあります。そこで、痛み止めを飲み、痛み止めの湿布を貼って、杖を使う生活となりました。
 
 杖の生活をして分かったことは、今回の私のようなケースは、街中でよく見かける高齢者の方が杖を使うのとは、まったく目的が違うということです。高齢者は歩行安全のために「転ばぬ先の杖」として使用しているように思います。しっかりと体を支えるような歩き方はあまり見かけません。高齢者の方にそんな歩き方はできないでしょう。
 
 杖は、痛めた足の反対の手に持ちます。私の場合は左膝を痛めていたので右手に持ちます。これによって、歩行時に左足に掛かる体重の2から3割を右手で支えて、左膝への負担を和らげるわけです。三足歩行です。この歩き方を何日か続けると、右手のひらが痛くなり終日痺れた状況になります。これに慣れてくると、手のひらの皮膚が厚くなってきます。
 
 それでは、どのような杖が良いか?重要なのは、体重を支えるためのグリップと地面に設置する部分だと思います。多くの杖のグリップは木製ですが、あれでは滑るし体重を支えるには不向きです。手のひらも痛くなってしまいます。私はます左のシリコンのものを選びました。しかし、地面からの反発を弱めるにはもう少しクッション性が必要と考え、右の形状の杖に変えました。
 地面設置部は、左の初めのものも弾力性はあったのですが、駅構内などの石材の床からの反発が強いため、右のものに変えました。こちらは、見ていただければわかるように中間にウレタンのクッション材が入っていて、衝撃を和らげてくれます。
 
 杖は、まだまだデザインの余地があります。


 



2013/10/13

IKEAの空間提案

30年近く前の1980年代後半頃、初めてLAに行った時に、現地デザイン事務所の方にIKEAに連れて行ってもらった。当時はテレビのデザイン担当だったので大型電気店のサーキットシティなどとも市場調査したが、テレビファニチャーのデザイン開発の参考にしたいとの思いからだった。

当時から、IKEAは家具を展示するだけではなく、空間を展示、部屋を想定して展示していたことで注目されていたが、日本への出店はされていなかった。今では、どこのお店でも当たり前のようにしている空間展示ではあるが、当時は新鮮に映った。

そして、2013年現在、IKEAは私の住む横浜市港北区にも出店している。先日、久しぶりに訪れると、リアルな日本式住居をモデルにした展示があった。四畳半の畳の部屋にIKEAの家具、ファブリックでコーディネートされている。押入れの中も提案されている。

これまでのショールームは、現実にはあり得ない生活感のない展示がほとんどであったが、IKEAは、国地域に根差した、あくまでリアルな住環境を提案しようとしているところが凄い。










2013/10/10

食品容器のデザイン

毎日のようにスーパーやコンビニで見かける食品容器、輸送中や店頭で中の食品の衛生状態を保つため、そして中身を美味しく見せるためにも欠かせないものです。ただし、日本以外ではあまり見かけないようで、食品容器のトップメーカーの方の話では、海外ではなかなか受け入れられないそうです。

そんな日本的な製品には、様々な日本的なアイデアが盛り込まれている。
フタが開かないようにギュッと締め付けて閉じるようになっていたり、商品展示時に崩れ落ちないようにスタッキングできるようになっていたり、いかにも繊細な日本的発想です。

その中でも、最近よく見かけるのが、蓋の開ける部分の凹凸です。この凹凸がないと開けるときに爪を挟んでしまったり、端面で指の腹を擦り切ってしまったりします。
あまり目立たないところで、しっかりとデザインしている方がいることに敬意を評します。


2013/10/04

私的モバイルPC歴

私のパーソナルコンピュータ獲得劇の中でも、モバイルPCを初めてに手に入れた時の感動は忘れられない。1995年ごろだったと思う。アップルのマッキントッシュDUOを当時の手取りボーナスをほぼつぎ込んで購入した。妻には、「そんなに高くはないんだ!」と、平静を装い、Mac writeとMac paintで資料らしきものを作り、「ほら、役立つんだから!」と、納得させていた。
パソコンがモバイルになると、使い方が変わる。いつでも、どこでもの始まりです。はじめは、重量とバッテリーの持ちが重要な機種選定の判断基準でした。
それから、MacBookやLetsNote、JORNADA、iPadなどなど何台ものモバイルPCをいろいろと言い訳して購入してきました。
そして、今の私の環境で最も便利なのが、surfaceです。何と言っても軽い、起動が早い、何よりも学校のネットワークに繋がる。
時代とともに私の判断基準も変わってきたなと思う。



2013/09/22

アップルは欲望のオブジェを創ってきた

アップルは創業以来、イノベーションとマーケッティングで業界をリードし、世界中のイノベータ、アーリーアダプタが欲しくなる商品を欲しくさせる仕組みとともに創ってきました。私もその企業姿勢を応援し踊ったひとりです。
しかし、37年の歴史の中では企業としての存続をも危ぶまれた時期がありました。イノベータ達からそっぽを向かれた時期です。デザインもフロッグデザインが新機軸を出した時期はパソコン以外のデザイン思考にも多くの影響を与えました。私もそのひとりでした。
そして、iPhone5sと5cの発売、日本では通信会社No.1のドコモが扱うようになりました。中国では米国日本と同時発売でした。マジョリティが騒ぎ出した時アップルは危ない。ジョブズがいたらどういう手に出るだろうか。
iPhone5sと5cを手に入れるために、台風の中並んだ購入者には新商品の機能や性能といった内容だけでなく、外観すら見えていないようです。だれかが「デザインが良くなった」と言ってましたが、それは裸の王様の発言です。通信会社は目先のことしか見えてなく、社長自ら踊っている。お祭りだから、、、とも言われています。
このような状況だからこそ、今がチャンスです。日本らしいものづくりから、世界で戦える商品とサービスを創っていくことができるように思います。

9月20日 朝日新聞夕刊

2013/09/12

杖のいる生活

杖を使いはじめて一週間、私の場合は、左膝を痛めたため右手に杖を持ちます。地面に着いた時に左足にかかる力の2から3割程度を右手で受け持つわけです。痛めた足への負担を軽減して、治癒を即すのが狙いです。
当然ですが、右手は疲れますし、手の甲は痛くなり、真っ赤になります。そして、今度はその痛みが脇の下にきます。
これらの問題は、杖のグリップの形状をリデザインすることで、随分と解決するのではないかと思われます。肘もサポートするタイプのものもありますが、個人差への対応はできていません。握る行為の道具は沢山ありますが、杖ほど長時間大きな負荷がかかるものは少ないように思います。

2013/09/11

トイレのマークと東京オリンピック

私たちが日常、駅や公園で見慣れているトイレのマーク、これがはじめて使用されたのが1964(昭和39)年の東京オリンピックです。
 

 

1964(昭和39)年10月6日『毎日新聞』朝刊


1964(昭和39)年10月10日(土)午後2時58分
「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」、天皇陛下のお言葉で開会式が宣せられ、94か国から7,000名あまりの選手が参加し、開会式の入場者は73,000名に達したそうです。外国人が大挙して東京にやってきたのです。

新聞では、外人に対するマナーなども記事として取り上げられました。そんな中で、1964(昭和39)年10月6日(火)の毎日新聞朝刊では、「無言のガイド 絵ことば」「トイレに一番苦労 競技場別に色分けも」と題した記事で、競技場内の案内マークが紹介されています。

すでに、哲学者オットー・ノイラートとイラストレーターのゲルト・アルンツによってデザインされたIsotypeと言われる非言語による意味表現としてピクトグラムはありましたが、トイレのマークとして普及するきっかけになったのは、間違いなく東京オリンピックです。

私が初めて出張でドイツに行って、レストランのトイレを探していたとき、ドアに「Damen」「Herren」と書かれていて、まったくドイツ語の分からない私は、間違って「Damen」のドアを開けてしまった恥ずかしい記憶があります。今では、ドイツでも空港やホテル、公共施設、大きなレストランではトイレのマークが使われているのではないでしょうか。

2013/08/18

バックにキャスターを付けたのは誰?その2

 少しだけ調べてみました。
 
 旅行バックは、ルイ・ヴィトンに代表されるトランクケースに始まり、スーツケース、トローリーケース(「コロコロ」「ガラガラ」とも言われる)へと変化して現在に至っています。
1964年、東京オリンピックの年に海外旅行が自由化され、第一次海外旅行ブームが起こったことから旅行用のバックの需要が増しました。
 初めてのキャスター付きスーツケースは、エースのサムソナイト「シルエット」だと言われています。これは横型走行タイプでしたが、1975年には縦型縦開きになります。現在の縦型横開きになったのは、1978年に発売された「ワードロープ-3」だったようです。
 1980年代になると個性化の時代となり。1990年代になってキャリーハンドルの付いたピギーケースが出てきました。この間に「もっと楽に運びたい」とのユーザー要望から改良が重ねられ現在に至っているようです(以上、地球の歩き方「スーツケース進化論」arukikata.co.jp参考)。
 
 
 それでは、誰がデザインしたのか?意匠登録を1970年から2000年まで概観してみると、初めてのキャスター付きは、1973年10月31日出願、意匠登録442188、創作者:平野辰雄でした。海外意匠、特許も合わせてもう少し調べる必要があります。
 
 

今回の意匠登録調査で、榮久庵憲司が1967年に創作出願した手さげバックを発見しました。確認はできていませんが、デザインから1967年に発売されて爆発的なヒットをしたという「デボネア」ではないかと推測しています。

2013/08/17

バックにキャスターを付けたのは誰?

 ものをデザインすると使われるスタイルが生まれる。スタイルはシーンをつくり、物語を生むことに繋がる。しかし、そこには生まれた背景がある。
 
 初めて、バックにキャスターをつけたのは誰だろう。重たい荷物を運ぶためにはどうすれば楽になるか?考えた結果だろう。
 ただ少し前まで旅行するとき、駅などで荷物を運ぶのはポーターだった。もちろんホテルでも。ポーターにチップを渡すことが当たり前だった。だから、鞄を所有している人にとっては荷物を楽に運ぶことは必要ではなかったし、ポーターにとっても自分の仕事を奪う手段を取り入れる必要はなかった。
  現在のキャスター付キャリーバックは、自ら鞄を運ぶ旅行者が増えたためだろう。旅行の大衆化、日常化がバックにキャスターを付けるアイデアを生んだとも言える。
 一度、しっかりとキャスター付キャリーバックの歴史を調べてみたいものです。
 
 

2013/08/08

葉山セミナーハウス夏ゼミ合宿

増成研では、毎年夏休みに入ってすぐのこの時期に、芝浦工業大学葉山セミナーハウスでゼミ合宿を行っています。卒業研究を推進する上で夏休みは大変貴重な期間であり、夏休みの初めにこれまでの進捗の確認をするとともに、相互の意見交換をすることは大切です。
 
今年は吉武研と合同で卒業研究の集中討議、活発な意見交換が行われました。この場での討議が今後の成果に繋がることと思います。まだまだ、研究目的が絞りきれていない学生もいますが、これからが本番です。大学4年間の成果を悔いのないかたちで導き出して欲しいものです。
 
そして、その後はBBQ、花火。
増成研は、厳しく、楽しく、卒業研究を推進しています。



2013/07/26

塗装の拭き分け

以前から気になっていました。この車のピラーの塗装拭き分け。
どうしても黒くしたかったのでしょう。パーツが分かれているのでもなく、拭きわけのためのプレス形状がある訳でもありません。マスキングテープを貼って塗装の拭きわけをしています。当然、形状と色分けが矛盾していますから、ディテールが美しいわけがありません。
かたちと色がものづくりとして合理的か、整合性があるか、デザインの力量が問われます。




2013/06/22

扇風機のデザイン

 
グリーンファン購入しました。決め手は「静音」と「電気代」です。
 
3.11震災以降、家電量販店の売り場では、一時期無くなるのではないかと思われていた扇風機が地位を回復しています。
大手メーカーが価格競争をする中で、ダイソンとバルミューダは、独自の価値を追い求めています。グリーンファンを購入する上で、「音がどの程度静かなのか・・・」ネットでは評価されているものの、なかなか店頭の騒がしい中で確認ができませんでした。私たちの生活空間と家電の売り場とはあまりに環境が違います。レンタルで確かめたいとまで思いましたが、消費電力がわずか2Wで、「電気代」が普通の扇風機の15分の1と知って決断しました。
 
扇風機は、最初期に生まれた家電製品の一つです。モーターに羽が付いているだけのシンプルな構造です(ダイソンは少し違いますが)。それが、ここまで進化したとは。。。と言うか、なぜ気づかなかったのでしょうか。
購入して、組み立てて、使い始めて、その静かさにびっくり(ただし、風量を強にするとうるさいが、使うことはない)、タイマーを掛けていないと切るのを忘れてしまいそうです(タイマーを掛け忘れても12時間で止まるようですが)。静かなのも、電気代が安いのも、DC12V でモーター駆動しているからでしょう。もちろん、スタイルもシンプルで好感が持てます。リモコンも使いやすい。
ただし、気になる点もあります。この電源コードは固すぎて床の上でしっくりしません。
 
私たちが日常使用する家電製品は、購入して、使ってみて、初めてわかることがたくさんあります。いろんなデザイン賞の選定評価は使ってすべきでしょう。
 


2013/06/11

現場の道具たち

朝、大倉山の駅前で見つけたガテン系職人の腰にぶら下がっている道具たちのカッコ良いこと!
特別でなく、必要な道具たちです。

特別な職人ではなく、でも今日の仕事に向けて準備した道具を腰に巻いて、颯爽と歩いていました。決して磨きこまれた道具ではないけれど、必要十分な手入れはされているのでしょう。

これからのデザイン系職人が持つとしたら、どんな道具たちになるのでしょうか。


2013/06/05

ソニー歴史館見学

プロダクト領域の3年生有志とソニー歴史館の見学をして来ました。
ものづくりの源流を知るために、デザインを学ぶ学生は、是非一度見て欲しい製品がたくさん展示されています。
私たちの世代は、ソニーのラジオ、ラジカセ、ウォークマンで育ちました。その次の世代もプレステ、PSPと、ソニーはものづくりとデザインをリードする企業でありブランドでした。
現状は、少々さびしい感もありますが、ソニーの歴史を学ぶことから次代のデザイナーを育てることができたらと思います。




2013/05/13

デザインは模倣から学ぶ

 デザインの学びは模倣からはじまります。もちろん、最終的な目標は独創的なものをつくることであり、そのための創造的な活動が重要となります。

 私たちは自然物や人工物を観察し、その機能、構造、造形を学んできました。企業における製品開発も、他社製品を分解することからはじまります。この行為は、特許や意匠を模倣した製品をつくるためではなく、よりより製品をつくるためです。

 芝浦工業大学デザイン工学科では、本年度より新たな科目「デザイン基礎造形演習」をスタートしました。前期はデザインにとって必要とされるスケッチ力を身につける演習です。履修する学生は美大を目指したことのない者がほとんどですから、デッサンを学んだこともありません。

 演習の目的もデッサンを描くことではありません。「アイデアを考え伝えることのできるスケッチ力を身につける」ことです。そのためには、モノを見る力を養う必要があります。演習のはじめの4回は、立方体、円柱などの基本立体からはじまり、シンプルな器などのデッサンを行いました。

 今週はデザインのための製図(三角法)の基礎を学び、来週からはスケッチの演習です。スケッチはデザイナーにとって言葉や図面とともに必要なリテラシーのひとつです。そして、アイデアを生む行為そのものでもあります。



2013/04/21

インタフェースデザインの私的デザイン史

1979年、私が家電メーカーに入社しデザイン部門に配属された時、グループ企業含めて500名近くいたデザイン職能組織に「インタフェース」の名前の付いた部門はありませんでした。デザイナーは、ほとんどがプロダクトデザイナーと言ってよい状況で、パッケージデザインや製品のグラフィックデザイン、ロゴデザインについてもプロダクトデザイナーが行っていました。
もちろん、「インタフェース」という言葉が使われていなかった訳ではないように思いますが、ほとんどの場合は機器と人間との間のインタフェースであり、人間工学の一分野だったのです。

この頃、私が担当してテレビでは、本体の画面上に出てくるチャンネルや音量表示(オンスクリーン表示)をリモコンで操作することが一般的になり、ニューメディア(当時はそう言われていましたが、今で言うマルチメディアか)の到来とともにテレビが多機能化し、オンスクリーン表示とリモコンの関係がユーザーにとって使いにくい状況を生み出していました。この状態は今も続いていますが。

1984年、そんな時に現れたのがMacintoshの128Kでした。その画面のGUIを見たとき時代が変わるのを感じました。それ以前に「Lisa OSは、パーソナルコンピュータ初のGUI環境のOSだった」(wikipedia)訳ですが、一般に与えたMacintoshの衝撃は大きかったはずです。個人的な話ですが、会社の研究所に棚に置きっぱなしになっていた128Kを見つけてきて、上司を説得し固定資産の移管手続きをしてデザイン室に持ち込んだのは私でした。

それから何年か経って、既にMacintosh使いで知られていた川崎和男さんに手紙を出したことからお付き合いが始まり、オンスクリーン表示とリモコンに関するデザイン提案をお願いしました。その先進的なコンセプトは先進的であったがゆえに製品化することができませんでしたが、今でも素晴らしい提案であったと思っています。

1999年、ドコモがiモードをはじめた時に、携帯電話のデザイン担当になりました。携帯電話がインターネットに接続されるようになり、画面のサイズとカラー化、高解像度化が進み、プロダクトデザイナーが片手間に画面デザイン(GUI)を行っていけるレベルではなくなりました。機能の進化は画面遷移を複雑にし、GUIは独立したデザイン業務となっていったのです。

2013/03/16

デザイン工学一期生卒業

芝浦工業大学デザイン工学部一期生が、本日3月16日(土)、学位記授与式を終えて、無事に卒業しました。皆さん、本当におめでとうございます。



合わせて、芝浦校舎では、本日まで、デザイン工学科プロダクトデザイン領域学生主催の『卒業研究展』が開催されました。




2013/02/27

日本におけるデザイン教育のはじまり

日本における高等デザイン教育の始まりは、1921年12月9日に東京高等工芸学校が設置されたことにはじまるとされています。JR田町駅から海側に向かう最初の交差点、東京工業大学附属科学時術高校を背にして高等デザイン教育発祥の地の碑があります。初代校長は松岡寿(まつおかひさし)でした。


手島精一 『手島精一と日本工業教育発展史』より

東京工業大学1940(昭和15)年11月5日発行『東京工業大学六十年史』によると、1889年に東工大の前身東京工業學校に「工業圖案科」が新設されています。その後、東京美術大学(現東京藝術大学)の図案科に吸収されたとあります。このとき、この吸収に反対した人たちによってつくられたのが、東京高等工芸学校です。

1881(明治14)年5月26日  東京職工學校 設立
1890(明治23)年3月    東京工業學校 と改称
1889(明治32)年6月    工業圖案科 新設
1901(明治34)年5月    東京高等工業學校 と改称
1914(大正  3)年9月    工業圖案科 東京美術学校 図案科に吸収合併(p239-240)

同書によると、当時、インドからの留学生を多く受け入れており、英文の学校案内があった可能性があります。もしも、「工業圖案科」が英訳されていたとすると「Industrial Design」だったと思われます。バウハウスが開校する30年前のことです。

工業圖案科の設置について、当時の東京高等學校校長手島精一は、
「今までは兎角高尚なものにのみ施して、日常と云うものに對してはまるで措いて間ない。然しながら図案と云うものはそういう性質のものではない、いかなる卑近なものにも之を施すと云うことが必要である」( P221-223)と、述べています。

1985(昭和60)年5月26日発行の東京工業大学『東京工業大学100年史 通史』(P200)によると、東京高等工業學校と改称され、工業圖案科では、1906(明治39)年2月時点で、機械科、建築科、工芸科があり、工芸科の実習科目としては、彫刻工、指物工、板金工、塗物工があったと記述されています。

東京高等工芸学校については、「1914年、東京高等工業学校の工業図案科は東京美術学校図案科に併合されて廃止された。工業図案科長だった松岡寿はこれを遺憾とし、図案・応用に関する工芸高等教育機関設置の必要性を訴えていたが、ちょうど文部省の高等工業学校拡充施策に合致し、その中の1校として実現することとなった」と記述されている。

このように見ると、現東京工業大学は、 日本における高等デザイン教育をはじめた学校と言えるかもしれません。

2013/02/11

卒業研究の進め方、論文の書き方

私は、研究者で育ったわけではなく、30年以上商品開発の現場にいて、ビジネスとしての文章は書いてきましたが論文とは無縁でした。ビジネス文章も論文も論理的でなければならないから同じだ!と言う方もいるかもしれません。私の個人的な文章力の問題もありますが、50歳を前にして、論文を書こうとしたとき、本当に文章が書けないことに気づきました。多くの方々にお教えいただいた論文を書く上での注意すべき点をまとめてみました。

卒業研究の成果は論文です。制作物も成果ですが、論文内で述べることを前提にすれば、論文こそ卒業研究の成果であると言えます。

1.まずテーマを決める
卒業研究テーマは、レポートと違い与えられるものではありません。自身の問題意識、興味、将来を考えて決めましょう。
テーマが決まったら、テーマに含まれるキーワードで論文検索しましょう。同様、類似の論文を見つけることが大切です。見つからない場合は、キーワードを見直しましょう。世の中にこれまで全く研究されていない分野はないと思ってください。

2.目的を明確にする
目的は分かりやすく、だれにでも分かるようにしましょう。あまりにも大きなもの「・・・日本文化に貢献することを目的とする」などは、研究成果の先に存在するかもしれませんが、研究の目的にはなりません。自身がやろうとしている調査、実験から明らかにしようとすることを目的にしましょう。
目的と結果は対になります。当初の目的に答える結果が求められない状況になってきたら、目的を見直す必要があります。ただし、安易に目的の変更をすることは避けましょう。

3.研究対象、調査対象を絞る
世の中には膨大な情報があります。絞らずに広い範囲を対象にすると、一般論しか導くことができません。研究の成果は、ほんの少しでも新たな発見、知見を得ることです。対象は絞って、調査は深めましょう。

4.研究方法を決める
自分のテーマに関連した研究論文を見つけましょう。必ず先行研究はあるはずです。研究方法についても、まずは先行研究に習ってみましょう。新たな方法を・・・などと考える前に先人に学びましょう。特に調査、実験は地道な作業です。近道はありません。

5.論旨を組み立てる
論文は、研究計画の実行に合わせて書いていくと良いでしょう。研究が終わってから論文を書くということはあり得ません。研究と論文は一体のものです。まずは、論旨の組み立てを行います。論文は研究目的を設定して、その解を明らかにすることです。解を導くための論拠を箇条書きにしましょう。

6.アウトラインを作成する
はじめに(背景、動機)、関連研究(問題意識)、研究目的(課題)、研究方法(着眼点)、調査・実験、考察、まとめ
アウトラインは研究計画に沿ったものですが、研究を進める段階(特に実験、調査で思ったような結果が出ない場合)で修正はあるものです(本来は計画どおりに進めるべきですが、卒業研究は期限が限られています)。常に全体を概観しつつ、必要であれば戻って再考し、アウトラインは最新状況のものにしておきましょう。

7.本文を書く
論文は、目的に対して結果が対応していることがもっとも大切です。
美文を書こうとせずに、分かりやすい文、短い文を書くことを心がけましょう。はじめに箇条書きをしておくことも有効でしょう。
各段落のはじめに、その段落の主張を短くまとめて記述しましょう。最後まで読まないと意味が分からない文章を書かないようにしましょう。
考察における論理の鎖を省かないようにしましょう。読者は間を読んではくれません。自明だと思っても論理の飛躍がないように、丁寧に論理を展開しましょう。
具体的な例示で説明した方が概念的、抽象的な説明をするよりも有効です。

「緒言」は、短い文章で全体の要約を記述する。回りくどい前置きは避ける。背景は簡潔にし、問題意識、着眼点の要点を述べます。

「序章」は、研究目的を分かりやすく示す。関連する論文、書籍、報告書などから従来の技術、論について紹介し、矛盾点、問題点を指摘する。自身の着眼点を説明した上で研究方法、実験調査方法を示し、次章以降の要点を述べます。

「第1章~」目的に対する結果を導くために、実験調査結果、考察を順に述べていく。

「結論」は、論文全体の要約でなく、研究分野における論文の果たす役割、寄与について述べる。今後の課題については、研究において不十分な点について述べるのではなく、今後研究を発展させるとして何をすべきかについて述べます。

「謝辞」は、研究、論文を進める上で指導を受けた先生への感謝、実験調査で協力頂いた方々に対してお礼を述べます。

「資料」は、本文において注記で資料参照としたものの引用元を明らかにして載せましょう。論文は研究成果であるとともに、そのテーマについて更に探究しようとする研究者に資料を提供するものです。

2013/01/11

楽器のデザイン

突き詰めるとデザインは不変になります。特に、アコースティック楽器のデザインは普遍です。それらはオーケストラ演奏で使用されているような昔からのバイオリンやチェロのようなに何百年?も前から名器と言われるものがあった楽器だけでなく、ギターやフラットマンドリンでもそうです。
少しずつ創られたスタイルは、ある時点で完成の域になり、その後は継続されるようです。エレキギターについてもギブソンのレスポールモデル、フェンダーのストラトキャスターといったように、メーカーごとに何十年も続くスタイルを確立してきています。
上は、私が学生時代、今から37年前に購入したフラットマンドリンはギブソンモデル(日本メーカーブランド:ブルーベル)。下は、オベージョンのセミアコースティックモデルです。どちらも変わることのないデザインで今も作られています。