2014/11/23

私的神話その5・Pプロジェクト成功の秘訣

打倒ソニー・プロフィールのデザインプロジェクトは、唐突に始まったのですが、後に私自身がマネジメントをする立場になって考えると、当時の所長以下プロジェクトスタートを受け入れた各室長にとっては、大きな決断であったと思います。

プロフィールが発売されたことで、経営幹部からの突き上げも半端ではなかったと思われます。現業から5名もデザイナーを抜いてプロジェクトをスタートさせることは、企画、技術、工場、営業から見れば、「デザインはいい気なもんだ・・・」ぐらいに受け取られかねません。

しかし、現場レベルで、周辺部署がそんな感じに受け止めなかったのは、プロジェクトチームリーダーの人間性であったと思います。仕事は人間がするものですから、進めるためには理屈以上に人間関係が重要であると教えられました。

そういう意味では、リーダー以下全員がテレビのデザインを日常業務としており、パーソナリティとして関連部署との関係が良い人間ばかりだったのかもしれません。

デザインは、アイデアを生んだら、それを実現するプロセスを進める必要があります。そのためには、技術の協力は不可欠です。と言うか、技術にその気になってもらわない限り製品化できないのです。

このプロジェクトから「アルファ・チューブ」が生まれたのは、技術の力があったからです。あの造形を製品にするには、製品の機構設計、金型設計、そして工場のラインもそれまでのやり方を変えなければならなかったからです。

私たちは、スタートから技術メンバーを巻き込んでプロジェクトをスタートさせました。そして、彼らの共感を得るために活動していったのです。


2014/11/14

私的神話その4・Pプロジェクト始動

1984年11月、打倒プロフィールのデザインプロジェクトチームは5名でスタートしました。60名ぐらいのデザイン組織から5名を現業のデザイン開発から外すことには抵抗もあったと思います。当然、5名には抱えている進行中のデザイン開発もあった訳ですが、退路を断つ意味で、それらには関わるな!との指示でした。言い訳のできない状況に置かれたわけです。

プロジェクトチームの部屋もデザイン室とは別の部屋が用意され、集まった5名はブレストをはじめました。それぞれ、テレビのデザイン開発に日々関わっていながら持っていた思いを交換する中で、それほど時間の経たないうちに、「テレビとはブラウン管だ!」「技術からブラウン管を借りてこよう・・・」ということになりました。

当時、市販されているテレビの最大画面サイズは28インチでしたが、ちょうど29インチの非球面フラット画面のブラウン管が開発中でした。

プロジェクトルームに持ち込んだブラウン管をフロアに置いたとき、みんなの抱いた感覚は、「美しい」ということでした。毎日のようにテレビのデザインを考えいながら、製品の画面としてのブラウン管は日常的に見ていながら、裸の状態でブラウン管を見る機会はそんなになかったのです。

そして、床に置いたブラウン管に対面するかたちで私が床に座ってテレビを観ている姿をとったところ、全員から「それだよ」との声が出たのです。

デザインコンセプトが決まり、後は「床に置いたブラウン管」を如何にして造形し、製品にするかでした。



2014/11/04

私的神話その3・打倒プロフィールプロジェクト発足

1984年の秋、当時の松下電器テレビデザイン部門には60人以上のデザイナーがいました。デザインの必要性は担当する製品の市場規模に相関します。それだけ重要な製品だったのです。

まだ、ブラウン管の時代でしたから今よりは造形に関わるデザイン要素は多くありました。ニューメディアも騒がれていましたし、インテリアの要素として、小物雑貨として、車載機器として、様々なデザイン提案がされていました。

生活提案は、今のユーザーエクスペリエンスデザイン以上に活発な活動でした。日本全体が元気だったのかもしれません。

今は全てがスマホで完結していますが、1980年代は、AV機器のデザインが元気でした。ソニーがヘッドホンステレオでウォークマンを発売し、ラジカセは様々なデザインがひしめき、ピュアオーディオも元気でした。それに加えてビデオデッキ、ビデオムービーとユーザーが欲しくなる商品が次々に出てきていました。

当時、テレビのデザインを担当するデザイナーとして目指していたのは、プロフィールを超えるデザインをすることでした。ソニー以外の会社で働くテレビ担当のデザイナーは同じ考えであったと思います。ソニー内でも同様だったかもしれません。

そんな時に、デザインセンター所長が、打倒プロフィールのプロジェクトをスタートさせたのです。期間は3ヶ月、その間はライン業務から外れて活動をする。方法は問わない。と言うものでした。

そして、翌年商品化されたのが、アルファチューブでした。


雑誌『popeye』1985年11月号にメンバーが紹介される

2014/10/19

私的神話その2・SONY プロフィール

デザインには、神話的な誕生秘話がつきものです。

井上円了が「歴史はその時つくられる」と言ったように、実際にあったことでも後々受け取った人が心地ようように変容するものです。

SONYプロフィールについては、いろんな書籍、雑誌等でSONY発信としても語られていますが、そのほとんどは、1982年発行の『SONY Boilerhouse project 図録』の内容が初出のようです。

そこには、盛田氏から黒木氏へ、以下のようなメモが渡されたとあります。1978年のクリスマスのことだとなっています。

「黒木君へ
計画書は
従来のVideo Disc, ・・・・etcまで
飛躍しているが
それ以前に
TVを各種サイズモニター 各種Tuner Amp Speaker の組合せとし
次第に、TVをCompo化する方向へもって行ったら?
System Compoとして、特約店の意思でどの値段にもなし得る様にする」

1982年、テレビのデザインをはじめたばかりの私は、この内容を読んで、ただただ「凄いな・・・」と、「デザイン開発にはドラマがある・・・」と、憧れたものです。

そして、当時の給料からすると無理をして、16インチのプロフィールKX-16HF1を購入しました。テレビのメーカーに勤めている社員が他社の商品を買うのは如何なものか?との声も聞こえてきましたが、私としては、目指すべき目標を身近に置きたかったからです。

16インチのプロフィールは、私の風呂もない安アパートには不釣り合いに輝いていました。


『SONY Boilerhouse project 図録』1982より

2014/10/13

私的神話その1・SONY プロフィール

 1980年3月、松下電器に入社して1年間の長い研修期間を終え、やっとテレビ本部デザインセンターに配属が決まり、さあデザインができると意気込んでいた頃です。

 1980年代にデザインに関わっていた人、特にテレビ受像機のデザインに関わっていた人にとって、衝撃的な出来事が起きました。

 「PROFEEL」の発売です。

 多くの人は、「profile」だと思ったことでしょう。しかし、すぐに「プロのフィーリング」であると知って、ソニーらしいな、やられた、、、ソニーデザインが輝いていました。

 3月4日、5日、6日の新聞広告では、デザインの造形コンセプトを「ブラウン管だけお売りしたい」、デザインのバリエーションが可能であることを「変貌できればいつまでも新鮮だし飽きてしまうこともない」、そしてモニターであることを「いろんな機器と自由な組合せができたらとても便利だ」とアピールしました。

 その後の各社のデザインの動きは、「PROFEEL」に習えとばかりにモニタースタイルに舵がとられました。「PROFEEL」は異端ではなく、次の主流になると誰もが感じたからです。

 テレビ受像機のデザイン変遷を辿ってみると、「PROFEEL」は突然変異的に出てきたのではなく、またソニーだからできたのではなく、生まれるべくして生まれたと思われます。

(つづく)






2014/07/19

自然観察からデザインを学ぶ

一ヶ月近く前から、MOLESKINEの小さなスケッチブックに、毎日、自然観察絵日記をつけています。

何気ない日常の風景の中にも、いろんな気づきがあります。

自然物、人工物に関わらず、用途、機能への疑問や気づきを色と形に結びつけて見る。大切なことだなと再認識しています。

最近流行りのデザイン○○と言った言葉ばかりに振り回されず、たまには、スケッチブックと睨めっこするのも良いかもしれません。

デザインを学ぶ学生は、是非、自然だけでなく人工物も含めて、日常の気づきを記録しては如何でしょうか。





2014/07/18

食はコミュニケーション

随分と間が空いてしまいましたが、愛情を込めて焼き上げたパンの結果方向です。
 
久しぶりに再会する友人に食べてもらうために作ったパンです。
喜んでもらえたものと思います。
 
食は話題のきっかけづくりになります。どんな気持ちで作ったか、どんなざ材料を選んだか?なぜ?その材料にしたか?つくるプロセスは?・・・上手くいったこと、いかなかったこと、・・・それらが全て一緒になって友人の口に入るとき、コミュニケーションがスタートするように思います。

 


2014/06/07

料理はデザイン

デザインは、企画計画し、準備して、実行し、成果を味わうものです。

それって、正に料理そのものではないでしょうか。特に、お客さんをもてなす時には、何を好んで食べてくれるか、真剣に考えるものです。どんな場にだすのか?だれにだすのか?そのためには情報収集が欠かせません。

食べていただく方の好みが分かれば、素直に好物を作ることも大切ですが、いい意味で裏切る行為も必要です。今までに食べたことのないものを提供することが、喜びにつながることは多々あります。もちろん、美味しくなければダメですが。

次に、どのようにして提供するかです。いくら美味しくても、提供される場、器、一緒にテーブルを囲む人が誰であるかで、受け取られる価値は変わります。

そして、何よりも、愛情を込めて作ることです。誰が作ったか、どのようにして作ったか、分からないようなものに感動はしません。

と言うことで、今日は久しぶりに会う友達のために、朝からパンを作りました。大量生産ではなく手作りですから、インダストリアルデザインというよりはクラフトデザインかな。

結果については、次回報告します。
 

2014/05/06

スマイルのデザイン

84になる母を郷里の山口から呼んで、はとバスで東京見物をしてきました。バスが動き出して、可愛いガイドさんが話し出したときに持っていたマイクは、なんと20年近く前に私がデザインしたものでした。
 
メーカーの社内デザイナーとして、30年間製品デザイン開発に関わってきました。担当した分野はテレビ、カーオディオ、携帯電話などのAV、情報通信機器だったために、デザインしたほとんどの製品は既に市場にはなく、使われていないと思っていました。技術進歩の激しい分野の製品では仕方のないことですが、寂しいことです。
 
今回見つけたデザインは、バス用マイクとしてデザインしたものです。派手な商品ではなかったので、デザインしたことも忘れていました。しかも、前機種のマイナーチェンジでした。デザインの依頼内容は、音質を良くするためのデザイン変更で、背面(実はお客様に向くので正面)に、マイクの音抜きのための穴とフック用のビス穴を開けるというものでした。ブランドも変更したと思います。
 
背面の穴には一定の面積が必要で、位置も影響しました。どうしてもバランスの良くない所に穴が必要となり、もめたのですが、上手くレイアウトしてスマイル顔にしました。
 
華やかなコンセプトもなく、みんなが驚くようなアイデアでもないのですが、デザインには改善によって良くなるものがたくさんあります。
 
メーカーの社内デザイナーだからこそできるリデザインを、今も多くのデザイナーが日々行っています。改善のデザインの積み重ねこそロングライフのデザインを実現します。
 

 



 

2014/04/14

iPhoneとAndroid




私の周りにいる友人知人には、iPhoneを使用している方が多く、しかも高い評価をする方が多い。私もそのグループの一員です。スマートフォンの時代になって、G3、G4、G5と、ずっとiPhoneを使用してきました。SE社のAndroidを2台目端末として使用した時期もありましたが、「やっぱり、アップル、iPhoneの方が使いやすい」という結論になってきました。

そして、先日、冷やかしで入ったイーモバイルのお店で、NEXUS5を触ったことから「結構、使えるかも」と思い、今日、購入してメールの設定やアプリの設定を終えました。

まだまだ、これから使い込んで行くのですが、iPhoneが使いやすさを継承しているのに対して、NEXUS5は使いやすさを改善させてきていると感じるところがあります。

そうして、本体のデザインを見ると、造形の完成度も低くはない。これからのスマホのデザインがどうなって行くのか、楽しみです。


2014/04/07

「かわいい」のプロポーション

最近「かわいい」は、おじさんに対しても使われるので、意味範囲が広がっているのでしょうが、本来は「赤ちゃんはかわいい」と言ったように使われるべきでしょう。
 
赤ちゃんがかわいいのは、生存のために身を守る手段であり、かわいく見えるのはそのプロポーションが大きな要因であると思います。大人は八頭身美人と言われますが、八頭身の赤ちゃんがいたとしたら、かわいいとは言えないでしょう。
 
若い頃、会社でのデザイン造形研修でコーヒーミルをデザインする上で「かわいい」イメージを出したいと思い、プロポーションについて研究したことがあります。
 
どんなにかっこいいスポーツカーでもチョロQにすると「かわいい」デザインになります。正義の味方ウルトラマンも三頭身にすると、ご覧のとうりです。
 
デザインする上で、プロポーションは重要な造形要素です。
 
 
 
最近、おじさんが「かわいい」と言われるのは、年とともに頭でっかちになり、お腹が出てくるからかもしれません????

2014/03/31

ホンダN360とN1

エイドリアン・フォーティは、工業製品を「欲望のオブジェ」と呼びました。その最たるものが自動車です。乗っている自動車は、その人の生き方、ライフスタイルを表すものです。その背景には、育ってきた過程での記憶、憧れがあり、現在の社会的地位の生き様があります。

1967(昭和42)年の初夏、造船の仕上師(エンジンの分解組立職人)をしていた父が、ボーナスを頭金にして大喜びで買ってきたのがホンダN360でした。一生一台の買い物だったと思います。自動車が大衆にも手の出るものになった時代でした。

N360の「N」は、「一説に「乗り物(Norimono)」の略とされ、当時の社長本田宗一郎が、ミニマム・トランスポーテーションとしての普及を目的としたことによるネーミングとされている(wikipedia)」と言われています。N1の広告にも、その考えが反映されています。

2012(平成24)年11月、N360から45年経って発売されたのがホンダN1です。デザインコンセプトはN360と同じに、現在できることを実現したところが素晴らしいです。ホンダファンにとっては、「ホンダらしい」と喜んだことと思います。誰がN360を生んで、だれがN1として甦らせたのかを、意匠登録から見てみました。

N360は、意匠登録290139で1966(昭和41)年7月25日に出願されています。デザイナーの名前は、宮智英之助です。N1は、意匠登録1446086で2011年10月31日に出願されています。デザイナーの名前は、蔦森大介です。両名ともお会いしたことはありませんが、敬意を表します。

良いデザインは、復刻ではなく甦らせることで時代を超えて評価されるものになります

 


2014/03/24

ボトルには栓が必要

日本でもワインが日常的に飲まれるようになってきました。私もその一人です。産地やブランドに拘らなければ、1000円程度で十分美味しいワインがいただけます。

ワインと言えば「コルク」、先日テレビ番組にコルクの木からワインの栓を製造している場面を見ました。最近ではコルクの木も貴重なので、使用済みのコルクの栓を回収して粉砕し、成形して再利用しているようです。

また、コルクではなくスクリューの栓も多く見かけるようになりました。コルクは記号であり、機能ではなくなったからでしょう。しかし、栓がなければ溢れてしまいます。

ワインだけでなく、ボトルには栓が必要な場合がほとんどですから、いろんな栓があります。ペットボトルのプラスチックの栓で、回して開けても落ちない(ボトルに残ったリング状の成形に付いた状態で開く)ものを以前紹介しました。

今回見つけたのは、発泡酒用の栓です。

シャンパンを開けるのに失敗した人は多いのではないでしょうか。小心者の私は開けるのが怖いのですが、この栓であれば安心です。

栓の下側にミシン目が入っており、これを引き裂き、回すとガスが抜けて栓が途中まで上がります。その後は簡単に抜けます。とっても簡単、安全です。

まだまだ、解決すべき課題はあって、解決のためのアイデアは無限です。



2014/03/16

食文化と調理家電普及におけるキャズム

日本では、どこの家庭にも電気炊飯器はある。世帯普及率は限りなく100%に近いのではないだろうか。

1955(昭和30)年に、東芝がはじめて自動式電気釜を発売してから、なくてはならない調理家電になった。その間、ご飯離れが話題になったこともあるが、世代を超えて日本人にとってご飯は大切な主食であり、電気炊飯器は必需品です。

日本では食の多様化が進み、食の欧米化においては、学校給食でのパン食が果たした役割は大きいが、家庭では食パンを買って来るのが基本です。日本人がパンを嫌いでないことは、町に多くの美味しいパン屋があることからも分かります。

ホームベーカリーは、1987(昭和62)年に松下電器より発売され現在まで何度かのブームはあったのですが、炊飯器のような地位は獲得できていません。実際に家庭で使うと、焼き立てパンの美味しさは格別ですが、炊飯器のように普及はしていません。

そこには、食文化がキャズム[注]として存在します。

どんなに便利な家電製品になっても、キャズムを乗り越えるためには、技術的な課題以上に食文化の変化を起こし定着させる必要があります。経験の提案を生活の一部にするには長い時間が必要です。
 
 
 
 
[注]キャズム理論(キャズム理論)(大辞林より)
〔キャズム(chasm)は「隔たり,溝」の意〕
革新的商品やサービスが市場でシェアを拡大する過程で,容易に超えがたい「溝」があるとする理論。


2014/03/08

FBで広告してみました

FBの広告機能を使ってみました。
活動紹介のために作ったFBを皆さんに知ってもらうために、まずは友だちに紹介したのですが、もっとアクセス数を増やしたいと思い、自腹で20ドル分の広告をしてみました。

その結果、それまでの投稿のリーチが200未満だったのに、宣伝によりリーチが3000以上追加されました。半日ほどの間にです。効果にびっくり、20ドルが高いか安いか、このリーチの数がどの程度の最終目的効果に結び付くかはこれからですが、まずは認知して頂く上では効果絶大でした。

私たちは、日頃当たり前のように、goggleやyahoo、FBやtwitterを無料で利用しています。
ネット上の多くのサービス、情報が無料で利用できるのは、民法のテレビ放送と同じように、主な収入が広告で賄われているからだと誰もが知っています。しかし、その実態を本当に実感しているのは、広告代理店の担当者か広告を利用している企業の担当者ぐらいでしょう。一般の生活者(消費者)は、それを実感することはない思います。

私も、前職でデザイナーとして少なからずマーケッティングの現場に関わっていたので、「リーチ」「フリークエンシー」「オーディエンス」という言葉は知っていたし、デザインした商品がマーケットインしてプロモーションが打たれる時には気になったのですが、正直、実感はありませんでした。

FB(他のサービスもほぼ同様でしょうが)の凄いところは、一度広告すると、次々にいろんなメニューが提示され、小刻みに広告勧誘してくるのです。「限度費用を上げませんか」「オーディエンスを広げませんか」「広告期間を延ばしませんか」といったようにです。そして、確かにリアルタイムでリーチが増えているのが分かるわけですから、広告宣伝費としては分かりやすい使い方がです。しかも、オーディエンスのターゲットも定めることができるようです。

そして、もっとも凄いと思ったのは、これらのことが個人のレベルで、ネット上で簡単に申込み、設定でき、費用はクレジット払いできることです。費用も数ドルから始められるわけですから敷居は低い。FBは、これで儲けているのだと実感した一日でした。
 
 
 
 


2014/03/01

こんなものが・メイド イン ジャパン

私にとって英訳をお願いするときの強い見方がスイスのチューリッヒにいます。彼女は、夫と二人でミュージシャンとして活動し、昨年末には可愛い女の子も生まれました。仕事と子育てで忙しく頑張っている彼女のFBに、「海外で手に入る髪留めのゴムは緩くて使い物にならない・・・髪留めゴムは日本で買うに限る・・・これは欧州在住日本人の意見です・・・今度帰国したら大量に買って帰ろう・・・」というようなコメントを見つけました。

そうなんだ!でも、きっと中国製かベトナム製か、だろうなと思ったのですが、お子さんのお誕生日祝いを贈るのに、髪留めゴムを同梱してあげようと思い、近くのドラッグストアや100均、300均で探してきました。

そして、びっくり。ほとんどの髪留めゴムが「メイドインジャパン」なのです。

こんなに価格の安い、コストの厳しい商品が日本製であることに驚きました。考えると、きっと装置産業なので人件費がそんなに関係しないのか?輸送流通コストを考えると日本国内生産にメリットがあるのか?それにしても、中国製が少ないことに驚きました。

この件を、彼女に伝えたら、彼女も中国製だと思っていたようで驚いていました。

こんなところで、メイドインジャパンが評価されています。


2014/02/22

エネルギーの生産と消費

「消費者ではなく生活者」と言えば耳障りは良いのですが、私たち「生活者」は「消費者」であることを自覚する必要もあります。

電力会社は発電所で電気を生産して送電しています。一方で、電機メーカーは電気を消費する機器を生産して量販店に列べます。そして、生活者は機器を購入し便利を享受するために電気を消費しています。

石油会社は製油所でガソリンを生産してスタンドに運びます。一方で、自動車メーカーは自動車を生産して販売店に並べます。そして、生活者は自動車を購入し運転してガソリンを消費しています。

電気会社は電気を売っているのですから、節電やECOなんて本気で考えないのは当たり前です。街灯がガスから電気になり、アイロンが炭から電気になり、人の手で行ってきた洗濯や炊飯も電気が労働するようになりました。

結果として、人は労働から解放させたかと言えば決してそうではなく、新たな労働に着くことになります。それが、情報を生産するための労働です。

情報化社会が進展する中で、情報に関わる企業は、魅力的な神話を創造します。プログラムやソフト、コンテンツやアプリケーションと言われたりします。これらは人にとってのエネルギーとして社会に散布されます。そして、生活者は社会に溢れた情報を消費します。

2014/02/16

デザイン工学卒業研究

2月5日、2013年度デザイン工学科の卒業研究発表会が開催されました。プロダクトデザイン領域では二期生45名の発表が行われました。

デザイン工学を学ぶプロダクトデザイン領域では、制作をする学生に対しても論文を課しています。大学4年間の集大成として、自身の定めた研究テーマに対して行った調査、分析、考察を論述することを重要視しています。

芝浦工業大学は創設者有元史郎の理念にあるように、実学を重んじています。デザイン工学においても実学を重視しています。論述は実学のために必要な行為です。




2014/02/11

同窓サービスデザイン

小学校、中学校、高校、大学の同窓とは、長年会っていなくても直ぐに打ち解けることができます。社会的な地位や年収とは関係ない友であることも可能です。友だちの中でも同窓は特別の関係です。(もちろん、不幸にも虐めや冷やかしで辛い思い出ばかりの方もいるかもしれません)

そこに目を付けたのが同窓会会員名簿ビジネスです。私の場合、高校も大学も同じ会社が名簿管理を請け負っています。定期的に名簿の確認、販売の案内が来ます。

背景には、個人情報の扱いが厳しくなったことがあります。そもそもOB会、同窓会は、有志によって運営されている場合が多いと思います。毎年卒業生を出す学校の同窓会は、会員数も増えて幹事の仕事は大変です。そこに、個人情報の扱いが厳格になり有志ではどうしようもなくなったのでしょう。

今もあるのかどうか??知りませんが、昔、「ゆびとも」というネット上の学校同窓会サイトがありました。私も利用しましたが、最近、あまり話を聞きません。どんなにネットが普及しても、郵便の方が確実なのでしょう。先に紹介した業者は、着々とびビジネスを広げているように感じます。

同窓ビジネスの基本サービスは、まず、名簿の管理です。これで、同窓会幹事は個人情報管理から解放されます。次に名簿の作成販売、そして、新たな同窓会員を見つけることです。同窓会は、新たな卒業生が生まれたらその名簿を管理会社に渡し、同窓会を開催するなど必要に応じて案内を発送してもらいます。

今は、同窓会に関わる案内だけに限定されていますが、様々なビジネスチャンスを生む可能性を感じます。その基幹は個人情報セキュリティだとは思いますが。


2014/02/02

再考「軽薄短小」

いつも間にか、あまり使われなくなったように思われる「軽薄短小」。「重厚長大」の産業、製品から軽く、薄く、短く、小さくすることで、付加価値が生まれるとして、競われて時代がありました。私が携帯電話のデザインを担当していた頃は、厚さ0.1mm、重さ1gのせめぎあいを技術としていたものです。「軽薄短小」は、近年の製品だけでなく、昔からの日本的ものづくりの特質でもあります。

最近購入した財布、ネットで調べに調べて可能な限り薄いものを選びました。薄さに拘る理由は、男性の皆さんは経験があるでしょうが、スーツの胸ポケットに財布を入れると膨れ上がり、折角の上着のシルエットが台無しになります。かといって、いつも鞄やポーチを持ち歩くこともできません。

薄さを実現しているのは、皮の薄さと縫製ですが、金具も薄さに拘ったデザインです。細かな積み重ねで薄さが実現されています。改善の積み重ねによる実現、これも日本人の得意とするところです。「軽薄短小」のような物理的に分かりやすい目標だけでは勝てない時代だ、とも言われますが、分かりやすい目標をクリアすることも大切ですし、ユーザーの心を掴むのではないでしょうか。

財布の話に戻します。単に薄いだけでは使い物になりません。必要なものが収まってこそ、優れた製品デザインです。今日の中身は、お札が数枚、PASMO定期券、免許証、銀行カードとクレジットカード、小銭入れには、家の鍵、薄型のUSB、小銭は硬貨が一枚です。これで最厚の部分でも10mm以下です。

ここで、薄さを実現しているもう一つは、入れるものを割り切ったことです。今まで不要に入れていたカードは持ち歩くのを止めました。小銭も極力使わないようにPASMOには、常に一万円以上入れるようにしています。しかし、何かと必要なことのあるUSBは、薄型を選んで小銭入れに入れています。・・・・・・使い方を変えること、生活の仕方を変えることも大切です。







2014/01/26

ペコちゃんの模倣と創造

最新号の『NIKKEI DESIGN』に不二家のペコちゃんが「ロングセラーパッケージの秘密」として取り上げられている。milkyとともに60年以上、愛されているキャラクタだ。掲載の内容を見てすぐに思いだした。そう言えば、誰かが「ペコちゃん疑惑?」をFBで紹介していた。

発信元のブログを探り当てて読んでみると、どこまで確かかは検証していないが、どうもそうらしい。ペコちゃんの顔は、どう見てもバタ臭い。日本人が描いた女の子ではないなと思う。
http://mugendai2.hatenablog.com/entry/20100617/1276731910

ペコちゃんが生まれたのは、milkyが発売された1951年の前年らしいが、それより前にBIRDS EYEと言う米国の食品メーカーがオレンジジュースの宣伝にMerryと言う女の子をキャラクタとして使用していたらしい。当時の雑誌広告も残っているので確かであろう。

では、何故、不二家はMerryそっくりのペコちゃんをつくったのだろうか?不二家のホームページでは、銀座の店頭マスコットとして作られたのがはじまりであるとしている。しかし、もちろん、真似たとはどこにも書いていない。

そこで、いくつかの仮説を考えてみました。

ひとつは、社史によると不二家は大正時代から洋菓子研究のために米国視察に行っており、当然、戦後においても米国の食品情報は入手してきただろうから、その中でMerryを知った。

ひとつは、不二家のロゴはレイモンド・ローウィ事務所が行なっていることから、ローウィが来日した1951年前後からブランドやキャラクタについて北米の状況を見ていて、Merryを知った。

ひとつは、担当したデザイナー(だれがデザインしたかは分からない)が、アメリカかぶれで、GHQの払下げでもらったBIRDS EYEのオレンジジュースにMerryキャラクタがあった。

いろいろと夢想するのは楽しいものですが、どの仮説も当時の知財に対する意識の低さから起こったことでしょう。しかし、ビジネス上の知財権議論は別にして、ペコちゃんのキャラクタデザインは日本人に受け入れられて文化の一面をつくってきたと言えるだろう。デザイン文化史的な視点からは、模倣もひとつの創造である。

それよりも、デザイン誌としてペコちゃんの表情の変遷などにも言及する記事「多彩に変貌したペコちゃん」を書くのであれば、もう少し、突っ込んで調べて欲しいものである。

記事では、「不二家は1934年に発売した「フランスキャラメル」のパッケージで、リアルな外国の少女のイラストを使っていた。これよりも対象年齢が下のミルキーは、もっと単純で分かりやすい絵柄にしたいと考えた。また、戦前からディズニーやベティーちゃんなどの漫画的なキャラクターは広く知られていた。こうしたことを背景に、ふっくらとしたほっぺに舌を出した「ペコちゃん」のキャラクターが誕生した」と記述している。

この記事自体は、ペコちゃんの模倣についての真偽を問うものではないが、ネットで簡単に、ある程度のことは知ることができる時代だけに、紙媒体の雑誌は、独自取材を基にした批評、論評も含めて記事にして欲しいと思う。
 

 
今日、買ったミルキー
 
 
BIRDS EYEのMerry
 
 
 
 この件の著作権については、以下に詳しく書かれています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418378944

2014/01/18

デザインは素直な疑問から生まれる

子供の頃は、いろんなことに疑問を持っていたのに、歳とともにいろんなことが当たり前になり、自然に受け入れてしまいます。
疑問はいつしか疑問でなくなり、その時代と地域にとっての常識となり、伝統になり、文化になる面があります。
私たちは、日常生活の中での経験的な認識の積み重ねで、「良い・悪い」「好き・嫌い」の判断基準を身に着けていくのでしょう。

しかし、身に着けた判断基準が、時として新しい発想の障害になることもあります。

子供の頃の疑問は素直であり、いろんな可能性を持っています。 

「なぜ、日本人は箸をつかうの?」
「それはね、昔からしかっていたからだよ」
「なぜ、ナイフとフォークを使わないの?」
「日本では、昔はお肉を食べなかったからだよ」
「でも、ボクはお肉食べるときも箸だよ、なぜ?」
「ママが切ったお肉を出すからだよ」
「なぜ、ママは切ったお肉を出すの?」

際限のない疑問「なぜ」が続くことから、新しい発見が見つかるのは、デザインのプロセスでも同様です。デザイン思考とは、素直な心になって、幼い頃に持てる疑問を再発想できるようにすることかもしれません。

デザイン開発には観察が必要であり、重要であると言われて久しいが、大切なのは「なぜ」の繰り返しを何度できるかではないでしょうか。

在り来たりな観察からは、創造的なデザインは生まれません。

「なぜ」を繰り返すことで、創造的な観察をしたいものです。

2014/01/11

メディアの取り上げるデザイン

2014年1月9日木曜日、朝日新聞夕刊(関西版)の一面に「家電 見た目勝負 デザイナー主導 操作性も追求」(記者:福山亜紀)の記事が掲載されました。何故、このような題目の記事が新聞の一面に掲載されたのか。メディアが扱うデザインの意味について考えてみたいと思います。

前提として、
1)新聞記事は記者が書いたものですから、その記者に因るところが大きいと思いますが、編集会議を経て掲載されるのですから新聞社の考えに沿ったものです。また、新聞は大衆に向けて情報を発信するマスメディアですから、記事内容はその時代の大衆を対象にしています。
2)私は、色・形で対象を表現できない人はデザイナーとは言えないと思っています。コトであれ、モノであれ、どんなデザインであっても、言葉だけで完結することはなく、色・形を創造する表現行為が伴うものと認識しています。

この記事題目で、私が気になったのは、「見た目勝負」「デザイナー主導」「操作性も」です。新聞記事にとって題目は、商品コンセプトであり、キャッチコピーです。

記者は取材内容から、日本の家電メーカー各社の製品は、「技術力に溺れ、不要な機能をてんこ盛りしがち」である。その打開策として「デザイナーを開発の中心に据える」ことで、「格好も、使い勝手もいい家電」を作ろうとしている、としています。「技術力に溺れ、不要な機能をてんこ盛りしがち」とは、言葉を換えると「技術力を活かし、多様な潜在ニーズに応える」ということです。「デザイナーを開発の中心に据える」とは、言葉を換えると、「経営者はデザインに関心がない」というです。「格好も、使い勝手もいい家電」、このフレーズは、昭和30年代から使われていました。技術力は重要ですし、開発の中心は経営者です。ましてや美と用を両立させることはデザインそのものです。

上記のきっかけとなったのは、海外メーカー(サムスン)の攻勢であり、対策は海外で学んでくること、としています。他に学ぶことは常に大切ですが、ここには内容よりも舶来重視の大衆迎合が読み取れます。日本の文化、伝統に学ぶことも同じように必要であることは明らかです。

「脱スペック競争」を推進できたのは、社内におけるデザインの立場向上であり、軽薄短小をミリ単位で実現してきた「意味のない競争をやめ」、商品数を削減しているのは、デザインである、としています。今、テレビ、スマートフォンがサムソン、LGに負けているのは、軽薄短小の技術力です。スペックにおいても勝っているとは言えないでしょう。中国メーカーもすぐ後ろに迫っています。スペックやサイズで競うことは大切です。ここから逃げては強いデザインも生まれません。

事例として取り上げられている3つの製品については、私の知る限り評価に値するものであると思います。「蒸気レス」の炊飯器は、デザイン発想から生み出されたものであり、「見た目だけでなく、使いやすくするのがデザイナーの仕事」であるとの認識が社内にはある、としています。事実は知りませんが、「蒸気レス」は考え方(言葉)としては昔からあったのではないでしょうか。それを実現に向けて推進したのがデザイナーだとしても、実現したのは技術者でしょう。少なくともインダストリアルデザインにとって、技術とデザインは一体です。

日本の家電メーカーは、テレビ、携帯電話において海外メーカーに負けており、法人向け事業を伸ばしている。しかし、消費者に近い家電製品はブランドを高めるために力を入れている、としています。この論理には無理があります。取材された方の発言の断片をとって繋げてはいないでしょうか。結論としては説得力に欠けます。

最近の新聞記事には、必ず記者名があります。取材した場合も実名が出る場合が多いように思います。しかし、編集権限は新聞社にあります。情報は常に切り取られ方で、大衆の受け取る意味が変わります。今回のこの記事が議論のきっかけになれば良いと思います。

 
2014年1月9日木曜日、朝日新聞夕刊(関西版)


補遺
議論は内容について行うべきであり、個人、団体を誹謗中傷すべきではないと考えます。個人、団体名を出したとしても。そのための最適なメディアが、インターネットであろうと思います。なぜなら、異論、反論を直接行うことができ、相手も修正が可能だからです。
以前、ブログの内容について、私にではなく所属する大学にクレームの電話がありました。社会的にもデザイン界でも知られた団体のしっかりとした地位にある方からです。しかも、そのクレームは私に対して圧力をかけることを求めるものでした。大変残念なことです。
私のブログについて、皆さんからの内容に対する異論、反論、批評については、真摯に対応いたします。

2014/01/04

松下幸之助の言葉「これからはデザインの時代」

デザインの世界で語り継がれている松下幸之助の言葉「これからはデザインの時代」については、拙稿『松下幸之助の製品デザインに対する考え方と運営─初期の松下電器におけるデザイン活動に関する研究(1)』(デザイン学研究,2011)で、松下幸之助の考えを真野善一がコピーライトしたものであろうと推定した。真野善一は当時のデザインの置かれている状況の中で、松下幸之助のデザインに対する思いを最大限デザインの開発現場に活かすためにコピーライトしたのであろう。

真野の発言として最も古いものは1960(昭和35)年6月1日の「神代の話のようになったけど社長が羽田に降りたとたんに『これからはデザインや』と言われたという飛行場の話は有名だね。それでかどうかは知らないが、社長から当時の宣伝部の竹岡部長に話がゆき、さらに苗加部長を通して僕のところにきたというわけなんだろうね」である。

その後、いろんな方々によって、伝聞のようにして「これからはデザインの時代」が取り上げられてきた。そして、パン・アメリカン航空機のタラップからハットを持った右手を上げて降りてくる松下幸之助の写真とともに紹介されることが多くなっていった。しかし、この写真は、1951(昭和26)年1月23日発行の社内報『松下電器時報』では、米国への出発風景として載せられている。

事実は、必ずしも内容を伝える上で最適な物語ではない場合がある。

私は、松下幸之助の「これからはデザインの時代」発言はなかったが、この言葉は松下幸之助の考えを言い当てていたものと思う。

歴史はそのときつくられる

歴史は、その歴史が語られるときにつくられてきた。その内容が恣意的であるかどうかは別にして、その内容が聞く側にとって理解しやすいか、心地よいか、で歴史になってきた面がある。