2013/02/27

日本におけるデザイン教育のはじまり

日本における高等デザイン教育の始まりは、1921年12月9日に東京高等工芸学校が設置されたことにはじまるとされています。JR田町駅から海側に向かう最初の交差点、東京工業大学附属科学時術高校を背にして高等デザイン教育発祥の地の碑があります。初代校長は松岡寿(まつおかひさし)でした。


手島精一 『手島精一と日本工業教育発展史』より

東京工業大学1940(昭和15)年11月5日発行『東京工業大学六十年史』によると、1889年に東工大の前身東京工業學校に「工業圖案科」が新設されています。その後、東京美術大学(現東京藝術大学)の図案科に吸収されたとあります。このとき、この吸収に反対した人たちによってつくられたのが、東京高等工芸学校です。

1881(明治14)年5月26日  東京職工學校 設立
1890(明治23)年3月    東京工業學校 と改称
1889(明治32)年6月    工業圖案科 新設
1901(明治34)年5月    東京高等工業學校 と改称
1914(大正  3)年9月    工業圖案科 東京美術学校 図案科に吸収合併(p239-240)

同書によると、当時、インドからの留学生を多く受け入れており、英文の学校案内があった可能性があります。もしも、「工業圖案科」が英訳されていたとすると「Industrial Design」だったと思われます。バウハウスが開校する30年前のことです。

工業圖案科の設置について、当時の東京高等學校校長手島精一は、
「今までは兎角高尚なものにのみ施して、日常と云うものに對してはまるで措いて間ない。然しながら図案と云うものはそういう性質のものではない、いかなる卑近なものにも之を施すと云うことが必要である」( P221-223)と、述べています。

1985(昭和60)年5月26日発行の東京工業大学『東京工業大学100年史 通史』(P200)によると、東京高等工業學校と改称され、工業圖案科では、1906(明治39)年2月時点で、機械科、建築科、工芸科があり、工芸科の実習科目としては、彫刻工、指物工、板金工、塗物工があったと記述されています。

東京高等工芸学校については、「1914年、東京高等工業学校の工業図案科は東京美術学校図案科に併合されて廃止された。工業図案科長だった松岡寿はこれを遺憾とし、図案・応用に関する工芸高等教育機関設置の必要性を訴えていたが、ちょうど文部省の高等工業学校拡充施策に合致し、その中の1校として実現することとなった」と記述されている。

このように見ると、現東京工業大学は、 日本における高等デザイン教育をはじめた学校と言えるかもしれません。

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