2014/01/11

メディアの取り上げるデザイン

2014年1月9日木曜日、朝日新聞夕刊(関西版)の一面に「家電 見た目勝負 デザイナー主導 操作性も追求」(記者:福山亜紀)の記事が掲載されました。何故、このような題目の記事が新聞の一面に掲載されたのか。メディアが扱うデザインの意味について考えてみたいと思います。

前提として、
1)新聞記事は記者が書いたものですから、その記者に因るところが大きいと思いますが、編集会議を経て掲載されるのですから新聞社の考えに沿ったものです。また、新聞は大衆に向けて情報を発信するマスメディアですから、記事内容はその時代の大衆を対象にしています。
2)私は、色・形で対象を表現できない人はデザイナーとは言えないと思っています。コトであれ、モノであれ、どんなデザインであっても、言葉だけで完結することはなく、色・形を創造する表現行為が伴うものと認識しています。

この記事題目で、私が気になったのは、「見た目勝負」「デザイナー主導」「操作性も」です。新聞記事にとって題目は、商品コンセプトであり、キャッチコピーです。

記者は取材内容から、日本の家電メーカー各社の製品は、「技術力に溺れ、不要な機能をてんこ盛りしがち」である。その打開策として「デザイナーを開発の中心に据える」ことで、「格好も、使い勝手もいい家電」を作ろうとしている、としています。「技術力に溺れ、不要な機能をてんこ盛りしがち」とは、言葉を換えると「技術力を活かし、多様な潜在ニーズに応える」ということです。「デザイナーを開発の中心に据える」とは、言葉を換えると、「経営者はデザインに関心がない」というです。「格好も、使い勝手もいい家電」、このフレーズは、昭和30年代から使われていました。技術力は重要ですし、開発の中心は経営者です。ましてや美と用を両立させることはデザインそのものです。

上記のきっかけとなったのは、海外メーカー(サムスン)の攻勢であり、対策は海外で学んでくること、としています。他に学ぶことは常に大切ですが、ここには内容よりも舶来重視の大衆迎合が読み取れます。日本の文化、伝統に学ぶことも同じように必要であることは明らかです。

「脱スペック競争」を推進できたのは、社内におけるデザインの立場向上であり、軽薄短小をミリ単位で実現してきた「意味のない競争をやめ」、商品数を削減しているのは、デザインである、としています。今、テレビ、スマートフォンがサムソン、LGに負けているのは、軽薄短小の技術力です。スペックにおいても勝っているとは言えないでしょう。中国メーカーもすぐ後ろに迫っています。スペックやサイズで競うことは大切です。ここから逃げては強いデザインも生まれません。

事例として取り上げられている3つの製品については、私の知る限り評価に値するものであると思います。「蒸気レス」の炊飯器は、デザイン発想から生み出されたものであり、「見た目だけでなく、使いやすくするのがデザイナーの仕事」であるとの認識が社内にはある、としています。事実は知りませんが、「蒸気レス」は考え方(言葉)としては昔からあったのではないでしょうか。それを実現に向けて推進したのがデザイナーだとしても、実現したのは技術者でしょう。少なくともインダストリアルデザインにとって、技術とデザインは一体です。

日本の家電メーカーは、テレビ、携帯電話において海外メーカーに負けており、法人向け事業を伸ばしている。しかし、消費者に近い家電製品はブランドを高めるために力を入れている、としています。この論理には無理があります。取材された方の発言の断片をとって繋げてはいないでしょうか。結論としては説得力に欠けます。

最近の新聞記事には、必ず記者名があります。取材した場合も実名が出る場合が多いように思います。しかし、編集権限は新聞社にあります。情報は常に切り取られ方で、大衆の受け取る意味が変わります。今回のこの記事が議論のきっかけになれば良いと思います。

 
2014年1月9日木曜日、朝日新聞夕刊(関西版)


補遺
議論は内容について行うべきであり、個人、団体を誹謗中傷すべきではないと考えます。個人、団体名を出したとしても。そのための最適なメディアが、インターネットであろうと思います。なぜなら、異論、反論を直接行うことができ、相手も修正が可能だからです。
以前、ブログの内容について、私にではなく所属する大学にクレームの電話がありました。社会的にもデザイン界でも知られた団体のしっかりとした地位にある方からです。しかも、そのクレームは私に対して圧力をかけることを求めるものでした。大変残念なことです。
私のブログについて、皆さんからの内容に対する異論、反論、批評については、真摯に対応いたします。

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