2013/12/30

松下幸之助とレイモンド・ローウィ

 松下幸之助は、1951(昭和26)年に2回の海外視察を行っている。

 1回目は、1951(昭和26)年1月18日から4月7日までの約三カ月に亘る米国視察である。2回目は、10月11日から12月12日までの一カ月の欧米視察である。特に、1回目は、初めての海外視察であり多くの実地見分を行ったために大幅な期間延長となった。特に逸話のように言われていることに、「米国では同じ機能のラジオ受信機でありながらデザインで価格に差があることを知った」ということである。

 松下幸之助が帰国した4月7日の航空機は、1951(昭和26)年5月1日発行の『松下電器時報』によると、 12時30分羽田着のパン・アメリカンである。

 4月8日付の朝日新聞によると、同じ便でレイモンド・ローウィが来日している。

 ローウィは日本専売公社の依頼で来日し、煙草「PEACE」のパッケージデザインで販売貢献したことで知られている。松下幸之助は、帰国後の発言でデザイン対象に「包装の紙箱」をあげている。製品デザインを重視する姿勢を表明する中での発言としては、いささか不自然である。

 機内でローウィと交流があり、彼の包装デザイン等の業績について知った可能性がある。経営の神様として後に『TIME』誌の表紙になった松下幸之助と今世紀でもっとも成功したデザイナーの一人であるレイモンド・ローウィがどんな会話をしたか、想像するだけでワクワクするのは私だけでしょうか。

 
『松下電器時報』昭和26年5月1日発行

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